向ヶ丘遊園からタマプラーザ方面への道路 向ケ丘遊園駅菅生線が平瀬川と交わる原ヶ谷よりタマプラーザ方面に少し上がった所 宮前区平に在る神社で、御祭神は 武勇に優れ国家鎮護とされる応神天皇、皇統を繋いだ母神とされる玉依姫命(たまよりひめのみこと)、夫である第14代・仲哀天皇の急逝後約70年間摂政として古代日本を統治したとされる神功皇后が祀られています。
白幡八幡神社 縁起
約700年前平安中期の武将 源頼義(みなもとよりよし)は陸奥守に任じられ、 強大な経済力と武力を有して前任の陸奥守 藤原登任(ふじわらのなりとう)の征伐軍を撃破し陸奥国奥六郡(現在の岩手県中央部から南部)を支配していた豪族・安倍頼時(あべよりとき)を帰順させました。
しかし 安倍頼時の子 安倍貞任は不服とし1058年頃 前九年と呼ばれる役が勃発し源頼義は出陣する前 鎌倉八幡宮の御加護を頂く為に「この度の使命を果たす事が出来ましたら鎌倉から奥州へ行く街道十里 (40km)毎に八幡祠一社ずつを造ります」と誓いをたてました。
遠征途中この白幡八幡神社の地が丁度第一次の位置になっていたので神のご加護を祈願しました。この誠心が神に通じて 安倍貞任は戦死 安倍一族は滅亡しました。無事使命を果たして帰還出来 源頼義は1061年に白幡八幡神社を奏ました。
その後
稲毛三郎重成が桝杉山に城を構えてこの土地の領主となり、白幡八幡神社は稲毛領57ヶ村の総鎮守となっています。
天正19年(1591年)、関八州の太守となった徳川家康に朱印地70石を寄進されました。当時朱印地10石は1万石の大名に相当する格付けでしたので大きな保護を受けていた事になります。現在御社殿にかかっている額面には「稲毛惣社」と印されています。明治6年郷社に列せられ白幡八幡大神と称せられ現在に至っており、現在の御社殿は昭和48年10月に再建されました。
終わりに
私の住む近に天台宗の神木山等覚院(とうがくいん)があります。
神木山 等覚院
お寺の縁起は日本武尊が東夷征伐のおり疲労困憊していた所 鶴が舞い降りた場所にあった冷泉で喉をうるおすと英気が漲り神助と感謝して一本の木を植え、後に神木と崇められたとあり現在の地名も神木です。
この地域には稲毛三郎重成の作延城もあって(現在緑ヶ丘霊園)、古代から中世にも軍事上要衝の道筋が通っていたと感銘を受けた次第です。



