豊臣秀吉の1590年小田原征伐後、関東移封となった徳川家康は政治・軍事・経済の要として、江戸を定めました。
家臣の活躍により家康の関東経営は着実に軌道にのり更に1603年征夷大将軍以後江戸は発展し、およそ130年後8代将軍吉宗の時代には、公衆衛生が行き届いた人口100万人の世界一の大都会となりました。そのような時代の江戸や関東の風土や当時の人々の活躍を少しでも知りたいとの思いで書き著し、開発された江戸の情景が見て分かるよう錦絵で示しました。
稲田郷土史会 機関誌 あゆたか 61号、62号に掲載され、第1部は江戸初期前後の、第2部は利根川の治水・多摩川の用水路開発を中心とする風土記です。
・川﨑多摩川文学風土記
関東平野の西端を流れる多摩川では草木が育ち、鮎等の魚が遊泳し、水鳥が飛来してくる豊かな自然の情景や豊富な水に支えられている人達の暮しが万葉の時代から現在も歌に詠まれています。
武蔵の国と西国との国境となる多摩川や川崎は離別の地として万葉の時代から惜別の歌が詠まれてきました。多摩川が津久井街道・大山街道・中原街道・東海道と結節した宿場町は商業が栄え、さらに文芸にも影響を及ぼしています。川崎北部丘陵の情景を詠う詩歌や小説から、田園地帯であった昔の情景が思い浮かびます。
ここを舞台とする小説、歌、詩から、川崎・多摩川の文学・詩歌の風土を考察します。
小田原征伐で北条は八王子城で激しく抵抗したのですが陥落し3週間後に小田原の北条は降伏しました。家康が旧北条領地に移封されると、武田の遺臣で家康に仕えた代官頭大久保長安が神社・寺の保護、治水、道路建設等行い現在の八王子の骨格を開発して荒廃し治安が悪化した元八王子城下町を移住させました。
以降八王子は人々の活躍により甲州筋の江戸守りの要衝となり、織物産業の興隆等発展を遂げました。そのような八王子の風土や人々の活躍を書き著しました。
稲田郷土史会の大磯探訪に参加し、明治の息吹を感じた印象深い探 訪を私の想いも込めた記録です。