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西表島

トゥドゥマリの浜(月ヶ浜)

マリュードウの滝

ピナイサーラの滝

ビナイサーラの滝 滝口

ビナイナイサーラの滝 滝下

神々の座 カンピレーの滝 

浦内川 全長39kmの沖縄県最長の浦内川は、下流にはマングローブ林が広がり、上流にはマリユドゥの滝やカンビレーの滝

仲間川 マンゴローブクルーズ

サキシマスオウノキ

後良川 マンゴローブ林

東経123度45分6.789秒 子午線モニュメント

星砂の浜

由布島

 広い丘陵地帯で放牧

 由布島 水牛車

由布島 ユスヤラシ 林

宮古島

「宮古ブルー」真っ白な砂浜と透明度の高いブルーの海が広がる与那覇前浜

来間島大橋 来間島と宮古島を結ぶ

  砂山ビーチ

宮古島の最東端に位置する東平安名崎

平安名埼灯台

下地島 「通り池」

パイナガビーチ

関東・江戸風土記

 今がみろくの世なるべし

 徳川家康が江戸に幕府を開き江戸の建設が始まって間もない時期の世相を記録した「慶長見聞集」(三浦浄心著)の冒頭に出てくる言葉です。

 「みろくの世」とは弥勒菩薩がこの世に下り衆生を救うとされる未来の世を信じる仏教信仰で庶民は「いつかは良き世が来る」と信じて苦しい世を生きてきました。

 江戸時代初期は正にそのような時代でした。150年にもおよぶ戦国時代は終り、戦に狩りだされ、家を焼かれ、田畑を踏みにじられ、肉親を失うような事は亡くなったのです。

 江戸時代初期の日本は活力に満ちた経済の上昇期で、幕府や諸大名は治水・灌漑、新田・鉱山開発、流通機構の整備を行い 以降250年ほどの年月を対外戦争はもちろん大規模な内戦も経験せずに過ごす事が出来ました。江戸時代の日本は、世界の先進国であった欧州や中国では考えられない、平和で豊かな国家であったと思います。

 目次

 1 徳川家康五ヶ国統治時代 

 2 小田原征伐

3 家康関東移封 太田道灌江戸統治・関東支配基本政策・知行割

 4 江戸ニュータウン建設

   4.1 第1期建設 上水道 溜池・井の頭・神田上水・お茶の水

   4.2  物資搬入水路 道三堀・小名木川

   4.3 第1次架橋 千住大橋 六郷橋

   4.4 江戸城

   4.5 農村支配と江戸町人の暮らし

5. 江戸開府と天下請負

5.1 日比谷入江埋め立て 佃島・築地・深川 江戸城築城

   5.2 玉川上水  江戸の上水道マップ 武蔵の新田開発

   5.3 日本橋 日本橋・日本橋エリア(金座・北町奉行所    . ・越後屋・西川)

5.4 隅田川に架橋された橋 両国橋・曳舟川・新大橋・永代橋

6. 江戸城の風水 寛永寺・増上寺・山王権現・神田明神

 7 関東平野の治水

7.1 伊奈忠次 利根川の東遷 荒川の西遷

7.2  小泉次太夫 四ヶ領用水・灌漑水田面積・六郷側

  7.3  小杉御殿 中原街道・西明寺・泉澤寺・川崎堀

   7.4 志を引き継いだ人々 妙遠寺・田中丘愚・伊奈半左衛門忠順

  7.5 現在の二ヶ領用水  久地円筒分水・緑化センター懸樋

8.城下町

  8.1 大名・旗本・町人の居住地

  8.2 大名屋敷 櫻田・霞ヶ関・日比谷・加賀藩・佐賀藩・・

  8.3 城下町 青山・目黒・赤坂

  8.4 寺・神社 五百羅漢寺・浅草寺・湯島天神・愛宕神社

  8.5 漁場 芝浦・洲崎

  8.6 宿場 千住宿・板橋宿・品川宿・内藤新宿

  8.7 江戸名所 隅田川・三十三間堂・飛鳥山・日暮里・道灌山・ .          堀切・梅屋敷・牛込・吉原

おわりに

心の置き場 リターン

あゆたか

 

  

 

保護中: 架橋

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心の置き場

 歴史とITに興味を持ち囲碁を趣味とし、私の著作・風土記等を掲載したサイトです。 赤文字の箇所をクリックすると内容を見る事が出来ます。

1. 稲田郷土史会

 私が所属している稲田郷土史会は、川崎市多摩地域の郷土歴史や郷土文化の調査、先人の残した文化財や記録の保存、機関誌「あゆたか」の発行等啓蒙活動や、定期的に史歴探訪を行っているグループです。 例会・見学会等体験参加をお待ちしています。

 問い合わせ先 inadakyoudo@gmail.com

 事務局 川崎市立多摩図書館内 ☎ 044 935 3400

 稲田郷土史会ホームページ 

関東・江戸風土記  

 豊臣秀吉の1590年小田原征伐後、関東移封となった徳川家康は政治・軍事・経済の要として、江戸を定めました。  

 家臣の活躍により家康の関東経営は着実に軌道にのり更に1603年征夷大将軍以後江戸は発展し、およそ130年後8代将軍吉宗の時代には、公衆衛生が行き届いた人口100万人の世界一の大都会となりました。そのような時代の江戸や関東の風土や当時の人々の活躍を少しでも知りたいとの思いで書き著し、開発された江戸の情景が見て分かるよう錦絵で示しました。

稲田郷土史会 機関誌 あゆたか 61号、62号に掲載され、第1部は江戸初期前後の、第2部は利根川の治水・多摩川の用水路開発を中心とする風土記です。

八王子私説風土記

 小田原征伐で北条は八王子城で激しく抵抗したのですが陥落し3週間後に小田原の北条は降伏しました。家康が旧北条領地に移封されると、武田の遺臣で家康に仕えた代官頭大久保長安が神社・寺の保護、治水、道路建設等行い現在の八王子の骨格を開発して荒廃し治安が悪化した元八王子城下町を移住させました。 

 以降八王子は人々の活躍により甲州筋の江戸守りの要衝となり、織物産業の興隆等発展を遂げました。そのような八王子の風土や人々の活躍を書き著しました。

大磯歴史探訪

 稲田郷土史会の大磯探訪に参加し、明治の息吹を感じた印象深い探 訪を私の想いも込めた記録です。

川﨑多摩川文学風土記

関東平野の西端を流れる多摩川では草木が育ち、鮎等の魚が遊泳し、水鳥が飛来してくる豊かな自然の情景や豊富な水に支えられている人達の暮しが万葉の時代から現在も歌に詠まれています。

武蔵の国と西国との国境となる多摩川や川崎は離別の地として万葉の時代から惜別の歌が詠まれてきました。多摩川が津久井街道・大山街道・中原街道・東海道と結節した宿場町は商業が栄え、さらに文芸にも影響を及ぼしています。川崎北部丘陵の情景を詠う詩歌や小説から、田園地帯であった昔の情景が思い浮かびます。

 ここを舞台とする小説、歌、詩から、川崎・多摩川の文学・詩歌の風土を考察します。

川崎・多摩川文学風土記

 五反田節

 この風土記では紹介していない古民謡「五反田節」を五反田節保存会の金崎氏による揺を動画で紹介しています。 

  五反田節は今から約800年前の鎌倉時代、川崎北部が武蔵野国稲毛領であった時代、領主である稲毛三郎重成が源頼朝の妻政子の妹を正妻に迎えその婚礼の場で三浦の豪族武将の手の者が謡い上げたのが五反田節の始まりと言われています。その後郷土民謡「これまさ」として伝わり生田地区では「五反田節」として定着し、祝いの酒席で謡い伝えられています。

  五反田節を謡う金崎氏

・坂田英男氏コーナー

  坂田氏は 川崎市高津区 二子に在住。漢詩を得意とし詩吟を嗜み囲碁を  趣味とする現代の歌人です。

  春と晩秋の多摩川の情景、人が去り柿が残された晩秋の東北の情景、故郷である神流(かんな)川が流れ妙義山・榛名山・赤城山に囲まれ、南は関東平野が広がる埼玉県神川町たの情景を詠んでおられます。

・勝野井央子さんコーナー

勝野井さんは川崎市登戸に在住。 「稲田郷土史会」・「かわさき聞き書き隊」に所属しておられます。2015年多摩区民館ギャラリーで行われた「登戸宿河原完全写真化計画」という当地で失われた事物の写真展を観て話を書き残すのも、郷土史会の活動の一つ考えて 登戸・向ヶ丘遊園市域で区画整理を伴なった大規模な開発事業が始まると、地域で仕事をしてこられた方々のお話をお聞きし2021年から「聞き書き」を始められました。

聞き書きとは、話し手に質問して話を録音しそれを文章に書き起こして、話し手の人生経験、地域の文化や歴史を残すのが目的です。聞き書きでは「他人への非難・中傷や反社会的な言動はしてはならない」という大切な決まりがあります。対話を重ね、話し手の思いや価値観を引き出す協働作業により、話し手の言葉や語り口が生き生きと伝わる次世代への贈り物として、書き言葉とは異なる独特の雰囲気を持つ文章を作成します。

お読みいただき、ご自分も「聞き書き」の話し手となり、「地域での個人史を残したい」と思われた方は、稲田郷土史会にご連絡ください。  勝野井 央子

聞き書き一覧  話し手の皆様から実名掲載の許諾を得ております。

 1 区画整理で街がよくなるといいね

 2 区画整理事務所の説明

 3 役所が頑張って、新しい街ができるのは、いいと思う

 4 100%住み良い街 登戸は100年後素晴らしい街になるよ    石橋屋酒店

 5 区画整理で良い波をしっかり掴んでいきたいと思います  半ザム

 6 昔の登戸は自然がいっぱいでした             公文クリニック

 7 若い家族層が増えいろんな世代が楽しめる街に成ればいいね   東屋精米店      

 8 登戸で商売を始めて70年                ことぶきや模型店

 9 江戸時代から代々農業をやってきました 今後次世代が問題です 石井果樹園

 10 我が故郷 登戸                      原嶋 晃さん

   

2 ITCL

 私が所属しているITCL(Information Technology Competence Laboratory)は情報技術の根幹、応用分野等を研究しているグループで現在もアクティブに活動を続けています。

2.1 何故アルファ碁は勝てたのか 

 グーグルが買収した英国のAI研究者グループ会社が開発した「アルファ碁」がレビューし世界の囲碁強豪「イ・セドル」を寄せ付けず勝ちました。

 囲碁を趣味とする私は AI囲碁「アルファ碁」の原理を調査し、ITCLで発表させて頂きました。

2.2 国際状況と安全保障

  少し前の論文ですが、現在の国際状況(中国)を予見しています。

  激動の国際状況

 丁度民主主義社会か専制主義社会のいずれが優位に立つのかの分岐点に立っていた時期に表しました。トランプ前政権ではアメリカファーストをベースに経済・貿易面で台頭する中国との対立が際立しましたが、バイデン政権になり専制政治か民主主義どちらが優っているか本質的な争いとなってきました。

 中国が台頭すると民主主義は勢いを失って専制主義・国家主義・反自由主義が急速に高まり、今民主主義は2つの挑戦(経済・軍事)に直面しています。

 中国の姿

 GDPを偽装した中国経済、不動産バブル、不透明な債務、戦狼外交、技術の攻防、日本の安全保障等を述べています。

3 心の旅

中仙道近江路を歩く

地元の人たちが大切にしておられる道を「歩かさせて頂く」との思いで街道を歩いています。

「街道歩き」は修行の様に思えます。 呼吸を整えひたすら足を一歩一歩運んでいくと、我もなく人もなく、呼吸だけが立ち上がって、身体が運ばれていく。 中仙道を歩いてそんな事を気づかせてくれました。

中仙道近江路 心の旅

 街道の路傍にある石仏や馬頭観音、風雪に耐えてきた常夜灯
苔むした石畳、刻字された石の道標、墓石、渡し場跡
句碑や歌碑、庚申塔、高札場跡、古神社、古城跡、
格子や白壁の趣ある家々の町並み、本陣跡、宿の名残
そして松並木や一里塚
 先人が築いた歴史・文化を知見し、日本の歴史を学べる事が
街道歩きの旅の魅力
であり、心の旅となりました。
「通らせて頂く」との思いで、地元の方と心通わせながら
大切にしておられる歴史の道を歩きました。
街道に残されたこれらの史跡を味わい、
人々が往来した昔の日々に想いを馳せながら歩きました。

紅葉の京都

 落ち着ついた19のお寺の紅葉に包まれた情景です。

八重島諸島の旅

 手つかずの自然が多く残っている貴重な島々の写真記録です。

   石垣島のサンゴ礁 パラグライダーからの空写

五島列島の旅

 幕府の禁教令により長崎のキリスト教徒が信仰を続け隠れ住んだ五島列島。後に信者が建てた教会を会社の同期と訪ねた旅です。

 250年にも続いた迫害の後信徒の方々が想いを込めて建立された教会を見せて頂きました。

         奈留教会

 秋の三渓園   動画

4 故郷

  私の故郷、滋賀県大津の情景です。

紅葉の坂本

日吉大社 三石橋の一つ 二宮橋  日吉大社は比叡山延暦寺を守護する歴史ある神社です。帰省し此処を訪れるのが楽しみでした。

叡山・坂本・八瀬  

   千日回峰行を萬行された 叡南阿闍梨 尊師にお会い出来ました。 

 以前叡南尊師の説法をお聞きかせ頂だいた後、尊師の執務室で              親しくお話させて頂けたことがあり一生の思い出となりました。

   文殊堂より比叡山延暦寺根本中堂を望む

坂本       動画

比叡山延暦寺の寺院、日吉大社、明智光秀の菩提寺西教寺、石積みの参道、山辺の道、心落ち着く所です。

おわりに

徳川幕府初期を発展させた家臣は家康に忠誠を尽くし、信念を持って己の得意とする 分野で貢献しました。 

実行力の源泉は儒教や武術で鍛えられた精神と身体を一体化させたエネルギーと、今まで人ではコントロールできなかった自然に挑戦し事業の成就を祈願し神や仏を敬う敬虔な精神が支えました。

 日本の伝統的な精神バックボーン(日本の心

統治を継続するには富や軍事力だけではなく、領民が共感できる精神文化が必要で、自然に宿り支配している神を祀る神社や、仏の慈悲にすがれる寺を大切に保護し人心を安堵させて領国統治をおこないました。

日本人の寺社をベースとする精神文化の起源は、645年に日本独自の年号を打ち立て君主威令を国内にもよなく及ぼし、国外には独立国宣言を意図した大化の改新かと思います。 

以来日本の伝統的精神のバックボーンは脈々と打ち続き、江戸時代に大きく花開く事が出来たと思います。

心の置き場 リターン

8.6 宿場

千住宿

 日光街道(奥州街道)の第一宿であり、江戸四宿の一つです。

奥州街道と日光街道が合わさり、水戸街道、日光街道、奥州街道に分かれていく街道の集散地となっているのが千住宿の特徴です。

川越と江戸を一晩で結び、旅客とともに米麦や薪炭、鮮魚を運んだ川越夜船の中継地として繁栄しました。

水路と陸路が交わる 交通と物流の要衝となり、多くの人と物が集まるようになり、商業が発展しました。

毎朝市が開かれ日本橋魚河岸と並んで賑わいました。

当時隅田川と荒川は同じ流れで上流を荒川、下流を隅田川と呼んでいました。明治43年に発生した大洪水を契機として荒川放水路を計画し昭和5年1936年に完成しました。荒川放水路(荒川)は北区赤羽近辺の岩淵で隅田川と分岐しています。大正13年に千住新橋が架橋されました。

 富嶽三十六景 従千住花街眺望之不二 前北斎為一 国会図書館

千住宿を大名行列の鉄砲隊が通過しています。遠くに花街の建物と富士山が見えます。農家の女性二人が稲刈りの終わった田圃の畦道に座りながら行列を眺めています。先頭の武士も女性の方を見て、これからの道中の励ましをもらっています。

板橋宿

板橋宿は中世以来の宿場で、中山道最初の宿場です。中山道は東海道に次いで通行量が多く川止めを嫌う荷物や旅人が利用しました。信越、北陸からの玄関口としても知られました。

    木曾街道 板橋  渓斎英泉 国会図書館

宿場の入り口に駕籠や馬を手配している小屋があります。馬子(まご)が馬の世話をしており、首を高くした馬の首筋、目鼻、蹄が良く描かれています。駕籠を担ぎ人を運ぶ事を商いとする駕籠舁(かごかき)が腰を低くして天秤棒(てんびんぼう)で荷を担いでいる商人に、駕籠を売り込んでいる所でが描かれています。

品川宿

江戸から東海道の最初の宿場で、江戸四宿で唯一江戸湊に面していました。

  品川 (御殿山から望んだ風景) 広重 国会図書館

目黒川(品川)川口で古来湊としてにぎわっていた町が宿場も兼ねるようになりました。

名所や魚介類の名物が多く、風光明媚な地として、四季折々に江戸市中から多くの人々が訪れ、140軒くらい飯盛旅籠(めしもりはたご)と呼ぶ旅籠がありました。

     品川の駅海上 広重 国会図書館

内藤新宿

甲州街道の最初の宿場。以前は高井戸でしたが、江戸から遠い為、今の場所に新宿として設置されました。1590年関東総奉行内藤清成が徳川家康から屋敷地を拝領し居住したことから内藤新宿と呼ばれるようになりました。新宿は町中で青梅街道が分岐している街道集散地で多くの宿場が建ち並びました。

      内藤新宿  歌川広重 国立国会図書

甲州街道は産業道路としての役割もあり、馬糞も目立ったようです。他の絵師も含めて、広重は新宿をこの絵以外描いていません。

関東江戸風土記 リターン

8.3 城下町

青山

三河の出身で家康に仕えた青山忠成は、家康が関東移封されると江戸町奉行に任命され、原宿村を中心に赤坂の一部から上渋谷村にかけての広い屋敷地と5000石の領地を 賜りました。現在の東京都青山の地名は、屋敷地の一部であったことが由来といわれています。

        東都青山 歌川広重  ボストン美術館

大山道(現在の青山通り)が通る青山は、江戸時代は街外れであった事がわかります。道沿いに見える家屋は百人町と呼ばれ、江戸城本丸と大手三門を警備した鉄砲隊・百人組の組屋敷です。

大山街道は現在は渋谷、池尻、三軒茶屋と続くのですが、広重は後ろに富士山を控える雄大な丹沢山系大山の山裾に青山があるように描いています。

目黒

    東都目黒夕日ヶ岡 広重 国会図書館

夕焼の景色が素晴らしく夕日が岡と呼ばれていました。

夕日が岡から目黒川の流れと田園風景を見下ろし、楓の紅葉の向こうに富士を眺めています。 夕焼け空に紅葉がシルエットになって舞い落ち、目の前にしているかのように描いています。

 目黒太鼓橋夕日の岡  広重 国会図書館

目黒の太鼓橋は当時めずらしい石造りの橋です。

暗い空から雪が深々と降り続く太鼓橋の雪景色の絵です。目黒川の深い青色が流れが止まったかの様に見え、厳しい寒さが表されています。橋の上を歩く人々は、恐らく行人坂を下ってきた目黒不動の参拝帰りで、せっかくの雪景色も見ずにひたすら江戸に戻ろうとしています。

目黒川に架かる太鼓橋を渡り、急坂行人坂を登って行くと、右手に明王院、大圓寺と続き、 坂の上左手には茶屋がありました。

   目黒行人坂富士  広重・豊国  国会図書館

寛永(1624-1644)の頃出羽三山の一つ湯殿山の行者 大海法印が修行を始め評判となり道場を開き行人坂の名前の由来となりました。

道場の市は江戸城裏鬼門に位置するので徳川幕府の命により、大圓寺として創建されました。

行人坂の上には目黒不動として知られる天台宗のお寺泰叡山 瀧泉寺があります。三代将軍徳川家光は江戸の町を護るため、目白・目黒・目赤・目青・目黄の五不動を江戸の5ヶ所に安置しました。不動信仰は江戸中期以降に盛んになり、目黒不動は多くの参拝客で賑わいました。

赤坂

台地に挟まれた溜池一帯で潮入りの低湿地でした。慶長11年(1606)外様大名であった浅野幸長が願い出て、溜池を江戸城外堀の役割を果たすよう建造しました。

江戸時代初期から大名屋敷や幕臣の宅地などが混在し、これら武家地に挟まれる状態で町屋や寺町が形成されました。

    紀伊国坂 3代広重  国会図書館 

紀州藩上屋敷跡は赤坂御用地、迎賓館となっています。

 紀の国坂赤坂溜池遠景 広重 国会図書館

坂の東側にある堀は、弁慶堀と呼ばれる江戸城外堀の一つです。行列先頭の中間は口を「へ」の字に結び厳しい顔つきで、左手を握りながら踏ん張って歩き、先頭のお役目をは果しています。

    赤坂桐畑雨中夕けい 2代目広重   国会図書館

画面奥に描かれた赤坂御門へと向かう坂道には、迫る夕暮れと激しく打ちつける雨で暗く煙る中、傘を差して坂を往来する人々のシルエットが見えます。

前景のお供を連れたお武家、緑の上に植栽された桐と溜池は明るく、少し向こうの木々、坂、人々は濃いグレー色、さらに遠方の木々は薄いグーレー色で、激しく降る雨の景色を色による遠近法を使って描いています。

関東江戸風土記 リターン

8 城下町

8.1 大名 旗本 町人の居住地

 

右渦巻に沿って内濠から将軍家、御三家、譜代、外様の順に配池されています。北の丸に親族の屋敷、大手門外には幕閣の重職と側近の屋敷、常磐橋門内から日比谷門には親藩譜代、日比谷門から桜田門には有力な外様大名の藩邸がありました。旗本・御家人は階級によって区分されていました。

名主(年寄り)は第2期拡張工事で公儀への奉仕(伝馬、大工、・・)が義務付けられ、その見返り給付として敷地・屋敷が与えられました。大工・鍛冶屋・呉服・履物屋など職業別の町内に職人や町人を住まわせ町運営を主導しました。

8.2 大名屋敷

桜田

元々は日比谷入江でしたが、文禄年間(1592-96)に江戸城西丸造営で生じた大量の残土で埋め立てられ諸大名の屋敷地となりました。

      櫻田 広重  国会図書館

彦根藩井伊家上屋敷の赤の表門が見えます。門の前に石垣を組み3本の釣瓶を持つ大井戸(若葉井と名付けられていました)がありました。その左には御堀端番屋が見えています。

      外桜田弁慶堀糀町 広重 国会図書館

 彦根藩井伊家上屋敷東側の「桜田堀」を描いたもので、現在はホテル ニューオタニです。

土手の下の柳の脇に「柳の井」が描かれています。「柳の木をうゑし故に柳の水ともいへり。いづれも清冷たる甘泉なり」と紹介されています。

霞ヶ関

桜田門から虎ノ門あたりの一帯。蝦夷に備えて関所を設けたという伝説があります。江戸城に接し、城を守る要所であることから、諸大名の屋敷地がありました。

        霞ケ関雪中 広重   国会図書館

松平安芸守 広島藩(浅野家)、松平美濃守 福岡藩(黒田家)松平伯耆守 丹後宮津藩 等の上屋敷が続き、現在は警視庁、総務省、外務省、文科省となっています。

      かすみかせき  広重  国会図書館

坂下から大名行列が登ってくるところで、居合わせた町人達は道を譲る事になっていましたが、道端で平伏しなければならないのは、将軍家と徳川御三家の行列だけでした。

日比谷

もとは日比谷入江で、海苔養殖がおこなわれていました。家康江戸入府(1590)後の大名普請で埋め立てられ諸大名の屋敷地となりました。地名は海苔養殖用のひび(篠竹や木を海中にさしたもの)が多く見られたことに由来しています。

      日比谷外之図 広重 国会図書館

長州藩毛利家上屋敷が描かれています。手前に辻番所、奥には日比谷御門が見えます。通りには長鎗の稽古に通う武士の子供、御殿女中の奉公に上がる娘の姿があります。

加賀藩前田家

 加賀・能登・越中の大半を領地とし大名中最大の102万5千石を領した加賀藩前田家は外様大名でしたが徳川家との姻戚関係があり準親藩として松平姓と葵紋が下賜されました。 

        本郷  広重    国会図書館

本郷の広大な加賀藩邸は明治に東京帝国大学の校地となり、赤門が遺構として残っています。

文政10(1827)年11代将軍家斉の娘・溶姫(ようひめ)が前田家に嫁いだ際に居住する奥御殿(御主殿といいます)は江戸城大奥と共通するように造営されました。御主殿の門は丹塗りにしたところから、表門の黒門に対して赤門と呼ばれています。

佐賀藩鍋島家

鍋島直茂は関ヶ原の役で西軍でしたが同じ西軍の立花宗茂を攻略することで所領を安堵され、 35万7千石の国持大名となりました。最初は支藩、主家(龍造寺)の領地があり実質知行は3万石程度でしたが、鍋島支配を巧みに成功させました。

佐賀藩は長崎に程近いため寛永18年参勤交代での江戸滞在期間を短くする代わりに、福岡と1年交代で幕府である長崎の警備を命じられています。

     [山]下御門之内 広重  国会図書館

     山下町日比谷外さくら田 広重  国会図書館

門松の葉、2つの羽子板と羽根、奴凧(やっこだこ)を手前に配し、江戸城の堀、大きな門松を立てた赤門の大名屋敷、そして富士山が描かれています。

肥前佐賀藩(松平肥前守)の上屋敷で、赤門は将軍家から姫君を迎えた証しです。当時の藩主 鍋島直正は11代将軍 徳川家斉の第十八女 盛姫を正室に迎えています。

佐賀藩は藩校 弘道館を有し、幕末から明治維新にかけて江藤新平や大隈重信など多くの優秀な人材を輩出しました。西洋の技術をいち早く取り入れ、アームストロング砲や蒸気船など藩内生産に成功し。江戸湾防衛のための品川台場建設で、これらの技術を提供しました。

久留米藩有馬家

丹波国福知山藩8万石の大名であった有馬豊氏は、大坂の陣で功績があり一挙に13万石の加増を受け、関ヶ原の戦いで西軍に組みした小早川秀包が改易となった久留米21万石の領主として入封しました。

     芝赤羽橋之図 広重 国会図書館

侍長屋の屋根上に水天宮の幟旗がなびき、左上の櫓は「赤はね火之見で有馬藩は増上寺の火番を命じられています。

       増上寺塔赤羽根 広重  国会図書館

増上寺の裏は土地が広く赤羽橋の櫓とされる水天宮があり旅人も立ち寄り、毎月5日 魚屋、植木屋、行商人等の市が立ちました。

       赤羽根 広重   国会図書館

市が立った日の賑わいの様子を描いています。中央左は増上寺の塔 右手は有馬家上屋敷が見えます。

鍋島藩内藤家

内藤家は家康の祖父であった松平清康に仕え、三河一向一揆の鎮圧や 「長篠の戦い」などで戦功を立て、小田原攻めでは先鋒を務めました。1622年陸奥国磐城平藩藩主となり現在の町の骨格をつくり、新田開発等の施策を行い125年間磐城平の地を治めました。

文化の面でも俳諧の西山宗因や北村季吟、松尾芭蕉などとの親交を深め、元禄文化の発展に大きく寄与しています。

しかし凶作にもかかわらず増税や新税導入を行い、首謀者7名が処刑された大規模な百姓一揆「磐城騒動」が原因で、延享四年(1747)鍋島藩 延岡に移封されました。

      虎之門外之図  広重   国会図書館

延岡藩内藤家の虎ノ門上屋敷が描かれています。門の両脇の建物が侍長屋です。 両脇に長屋を付けた門を長屋門と言い苗字帯刀が許された名主の屋敷も、長屋門を構えていました。

関東江戸風土記 リターン