語り 手塚幸子さん
聞き書き 勝野井 央子 稲田郷土史会&かわさき聞き書き隊
2021年8月14日
主人((手塚庸行)は、元々登戸の人で、彼のお父さんが田中家から、手塚家に養子に入り、手塚姓になったの。
私たちは昭和45年に結婚し、子供は2人。
区画整理でいったん仮設住宅に入り2021年3月に5階建ての個人ビル「フェリーチェ」を建て、最上階の5階に住んでいます。
1階は歯医者さん、2~4階は賃貸で、全室入居済み。だって、登戸って交通の便がいいでしょ。
小田急線、南武線も近く、新しいスーパーも近くて、満足しています。
今、前に見える2軒のビルは、2人の従兄の田中さんのビルよ。
この辺りは借地が多く、私の家も大谷さんの借地だったの。
30年くらい前、地主さんと話し合いをして、まあ裁判所のお世話にもなったけど、半分の権利をもらい、土地の形状のオーバー分ではお金を払いました。
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戦時中、みんなが、登戸に疎開に来てそのまま居ついた人が多かった。
当時、田んぼとか畑とか農作物を作っていた土地だから、うちなんか前の道は農道だった。
元市会議員の手塚悌次郎さんのお父さんが、よく家にしゃべりに来て「ここの前は馬が荷車を引いてた道なんだよ」と言ってた。
事実、曲がりくねった道だったのよ。
ということはうちだけでなく、この辺全部がいい加減にできた道だったのね。
だから今こういう風に区画整理でみんなが土地を拠出して、15%~20%くらい道路に取られてるのよ。
当初、市役所の都合で、まだ住める家を壊され、仮設に入って、いろいろ面倒な手続きをやらされて、悔しいと思った時もあったわ。
道路に取られたり、公園を作ったりで、土地を提供して、新しい街ができているのだけれども、それはいいと思うわ。
役所の人もよく頑張ってやっていると思うけどね。私なんかは。
登戸というのは平地なのね。この奥の生田は山でしょ。
ここは川があるでしょ。それから山があるでしょ。
多摩川、生田緑地ね。そして、街は平地で、いい所よね。
ご近所のビル建てて住んでる奥さんたちと話すんだけど、
今までは2階家に住んでいて、玄関開けると、すぐ地べたが見えて、人が来ると「あら、いらっしゃい」って言ってた。
それが今できないで、こうやって、エレベーターのスイッチ入れて、「上だ」「下だ」やって、「慣れないわね」っていうのが、みんなの意見だわね。
要するに、「地べたの生活がよかったわね」というのが私たちの気持ちだけど、「これも今に慣れるわね」って励ましあっているというのが、今の心境よ。