8.7 江戸名所

隅田川

 江戸時代には、千住大橋より下流を隅田川と呼び、浅草付近では浅草川、両国付近では両国川、下流では大川と場所によって様々な呼び名がありました。各所に橋や渡しがあり、交通、物流の役目を果たし、川沿いでは春は墨堤の桜、夏は納涼と、江戸の人々のレクレェーションの場でもありました。

  江都名所 隅田川はな盛 広重   国会図書館

隅田川東岸 堤上の桜並木は吉宗・家斉両将軍の命で植えられました。花見客を乗せている舟、網で魚を掬ってる人の舟、いかだ、遠くには帆掛け船等様々な舟が隅田川を通っています。

三十三間堂 

     深川三拾三間堂 広重   国会図書館

寛永19年(1642)京都の三十三間堂を模して、弓術稽古のため浅草松葉町に建立されました。正面の柱の間が33あることから三十三間堂と呼ばれました。堂の大きさは南北66間(約120メートル)あり堂の南北を射通す「通し矢」が行われました。

飛鳥山

八代将軍吉宗の当時江戸近辺の桜の名所は寛永寺程度しかなく、享保の改革の一環として大岡越前守忠相に命じて整備・造成を行った公園です。開放時には、吉宗自ら飛鳥山に宴席を設け、名所としてアピールを行いました。

    飛鳥山  広重   国会図書館

絵の左下に将軍吉宗の奥茶坊主で文筆に精通し江戸文壇で重きをなした成島鳳卿(なるしまきんこう)によるの石碑が見えます。碑文は飛鳥山の由来から説き起こし、雑草生茂り雉や兎が跳梁する荒地に将軍吉宗の命により桜樹を植栽し開拓した経緯を五百数十文字すべて漢文で書かれています。

雲の彼方には筑波の山並みが描きこまれ、飛鳥山は富士山だけでなく筑波山も望める事で有名でした。

   飛鳥山花見乃図  広重   国会図書館

大勢の人々が集まるお花見の場では、桜だけではなく集まる人々も見物の対象となります。女子にとっては、花見は男女の出会いの場であり、おしゃれをして出かける場でもありました。絵に描かれた女性の一団は同じ柄の着物で傘も同じ統率されて花見に来ています。芸妓見習いの舞子さん御一行と推察しますが?

日暮里

日暮里は、上野から谷中、日暮里、道灌山と続く台地の一部で、東叡山の領地であったことから、数多くの寺が建っています。一帯は寺院の庭が続く名所となり、春の桜・秋の紅葉も美しく、日の暮れるのも忘れるということから「ひぐらしの里」とも呼ばれていました。

    日暮里寺院の林泉 広重  国会図書館

この絵は競って桜を植樹したので花見寺と呼ばれた青雲寺・修性院・妙隆寺の中央 修性院の庭 林泉(りんせん)を描いています。林泉とは山の傾斜を利用して泉のように土地を整えた庭で、絵の右手の帆掛船の刈込みが修性院の呼物でした。

道灌山

太田道灌の出城跡とされ、物見台等の遺構が残っています。山手台地の最高地点にあり眺望が良く江戸時代には虫聴きの名所として知られ、秋になると文人たちが訪れ、月を見ながら松虫や鈴虫の音に聴き入りました。

       道灌やま虫聞  二代目広重    国会図書館

身分の高そうな奥方がお供を連れて道灌山に来られました。刀を差し着物に袴を着けているお供は髪型や顔から女の子と思われます。絵の右上にはそれなりの文人とおぼしき二人が何か話しながら奥方をお待ちしている場面かと思います。奥方は何やらお共に話しかけ、お共は畏まって聞いてます。奥ゆかしい虫の音鑑賞ですが、高貴なお方の虫の音鑑賞は堅苦しくなりそうな雰囲気です。

    道潅山虫聞之図  広重  国会図書館

既に男性3人が景色を見ながら、太陽が沈み日が暮れるのを待っています。そこへお母さんがやってきて女の子に「これから虫の音をきくのですよ。静かにね」と話しかけています。ご婦人お二人は盛装しておられ、虫の音鑑賞は余裕のある人たちの趣味であった事が伺えます。

前もって男性が場所を確保し、女性は盛装した姿で後から登場するのが虫鑑賞の標準スタイルで、男性お一人は待ちくたぶれて舟をこいでいるようです。

堀切

堀切は綾瀬川の支流が流れ、花菖蒲の栽培に適した湿地帯です。百姓伊左衛門が花菖蒲の栽培を始め、江戸後期には多種多様な花菖蒲が咲き誇るようになりました。 江戸から舟で隅田川を渡って容易に行くことができたので、多くの江戸庶民が観覧に訪れました。

現在も葛飾区堀切に菖蒲園が残っています。

     堀切の花菖蒲 広重  国会図書館

広重はクローズアップが得意で、ぼかして描いた花弁が柔らかく見えてます。画面手前に数本の花菖蒲を大きく配し、奥に群生する菖蒲や訪れる人々を描いて表現し、大小の対比で遠近を感じさせています。

梅屋敷

     亀戸梅屋舗  広重  国会図書館

「亀戸梅屋舗」は、かつて亀戸天神社の裏手伊勢屋喜右衛門の別荘内にあり、300本もの梅の木が植えられた梅園で、龍が大地に横たわったような「臥竜梅」が有名となりました。第8代将軍徳川吉宗も訪れるなど、春の行楽地として大いに賑わいました。柵の向こうに見物客がみえます。 

画面手前に横切るほどの大きさに梅の枝を描き、奥の景色を覗かせる構図は斬新で、赤と緑という配色も刺激的です。

牛込

現在は神楽坂の一帯です。牛込の「込」は多く集まるという意味があり牛の放牧場がありました。

堰から水が流れ落ちる音から「牛込どんどん」と呼ばれていました。

   どんどんノ図 牛込揚場丁 広重   国会図書館

この辺まで船の通行があり、ここで荷を揚げたので堀端の町屋を揚場町と呼びました。

絵は船宿茗荷屋からの上客が芸者に導かれ酒肴を運ぶ供の者を従えて屋根船に乗り込むところでです。この二人の芸者の物腰、おっとり構えている客、付き添う供、見送る女将、広重は人物を描き分けるのが上手で濃いブルーの堀水と燃えるような紅の空の対比もあざやかです。

吉原

浅草北部にあった遊郭。当初、日本橋葺屋町の東側に開設しましたが、明暦2(1656)年に移転を命じられ、浅草千束村へ移りました。

     吉原仲之町 広重  国会図書館

最盛期には3,000人の遊女を抱えていました。中央の大通り「仲之町」には、春には桜を、秋には紅葉を移植するなど人工的な楽園を演出しました。

    新吉原衣紋坂日本堤  広重 国会図書館

日本堤から衣紋坂を通り、堤から遊郭が見えないように曲がった五十間道を経て、大門をくぐって入ります。周囲には「御歯黒溝」と呼ぶ堀をめぐらし、出入り口は大門一か所として、遊女の脱走を防ぎました。

関東江戸風土記 リターン