8.4 寺と神社

五百羅漢さんが収められているお寺です。元禄時代松雲元慶師が江戸の町を托鉢して浄財を集め十数年の歳月をかけて1700年にほぼ500体彫りあげたものです。

元禄8年(1695) 本所(現在の江東区大島)に創建されましたが、明治維新とともに寺は没落し、明治41年、目黒に移りました。

    五百羅漢寺 広重 ボストン美術館

羅漢はお釈迦さまのお弟子さんで実在した人々で、お釈迦さまの説法を実際に聴き教えのとおりに修行に励んで煩悩を払い聖者になられたのです。「らかんさん」は、後世の人々にお釈迦さまの教えを伝えていきました。「らかんさん」がおられなかったら、私たちはお釈迦さまの教えを知ることができなかったでしょう。

五百羅漢寺は元禄八年(1695) に本所五ツ目(現在の江東区大島)に創建されましたが、明治41年目黒に移転しました。

現存する305体が東京都重要文化財に指定されています。羅漢さんは1体1体違うお顔で、自分や肉親に似ている羅漢さんに出会えると言われています。羅漢さんのお写真を五百羅漢寺のホームページで見る事ができます。   https://rakan.or.jp/

 三匝堂(さんそうどう)

    五百羅漢 さざい堂 広重 国会図書館

さざい堂とは五百羅漢時にある三匝堂です。

三匝堂は3回巡る堂の意味で、内部が3層の螺旋状をしており、同じ通路を通らずに上り下りができる構造を持ち、その形状がサザエのようであることから「さざえ(さざゐ)堂」として知られていました。

通路の途中には観音札所があり、堂内を一巡すれば観音像巡りができるとされている、江戸の人々の人気を集めました。

浅草寺

時は飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日の早朝、檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)の兄弟が漁労中に仏像が網にかかりました。

兄弟の主人 土師中知(はじのなかとも )は出家し、 自宅を寺に改め仏像を供養しこれが浅草寺の始まりとなりました。

大化元年(645年)勝海上人が観音堂を建立し、ご本尊をご秘仏と定められ、以降公開されていません。

   東都金龍山浅草寺之図  昇亭 北寿 ボストン美術館

      名所江戸百景 浅草金龍山 広重 国会図書館

浅草寺雷門から、雪が積もる山門と五重塔が見えています。参道や木々にも真っ白な雪が積もり、朱色の建物との対比があざやかです。

湯島天神

創建は古く、雄略天皇2年(458)と伝えられています。太田道灌が再興し徳川家康は江戸入りの際、神領五石を寄進しています。

菅原道真を祀るこの神社は、学問の神と知られ、学者・文人の参拝も多く林羅山(朱子学に造詣が深く、23歳の若さで家康のブレーンの一人となった)、雨森芳洲(近江国出身で新井白石と同門、対馬藩に仕え朝鮮方佐役を務める)新井白石等名がみえます。

徳川綱吉が湯島聖堂を昌平坂に移し、この地は久しく文教の中心と知られていました。「昌平」は湯島聖堂に祀ってある孔子の生まれた中国魯の国の昌平郷に ちなんで命名されました。

    湯しま天神雪のあくる日 広重  国会図書館

湯島天神は高台にあって上野を一望する事が出来ます。不忍池の雪景色を見下ろすのは江戸の人にとっても格別なのです。

       湯島天神坂眺望 広重 国会図書館

石段上から俯瞰(ふかん)で眺めた構図で、正面奥には緩やかな女坂から登ってくる親子が、右側の急な男坂から登ってきた2人連れが見え、この二組が登っている丁度交差する位置に閉じた傘を手にした女性が雪景色に見入っています。

左手には石造りの鳥居があり、そこから先に湯島天神の境内が広がります。遠景は町人が多く住む下谷の町屋、不忍の池に浮かぶ弁天堂で、雪中にうっすら見える屋根は、上野寛永寺の伽藍と思われます。

真っ白に広がる雪景色に神社のあざやかな朱色、不忍の池周りは濃い青色、池の中は薄い青色、空の下方がピンクから上方へと白色から薄っすらと青色が配色され、雪が止みそのまま時間が止まったような静けさを描きました。

愛宕神社

「愛宕山」の山頂の「愛宕神社」は、江戸開府の1603年(慶長8年)、防火の守り神として、徳川家康の命で創建されました。

愛宕山の秋の名月 渓斉英泉 国会図書館

 愛宕山は海抜26メートル、江戸府内で一番高い山で、眼下には錦絵のように江戸の町と海が広がる月の名所でした。長い石段を上った山頂にある愛宕神社でお参りを済ませて境内の茶屋で月見の飲食を楽しんでいます。

    東都芝愛宕山遠望品川海図 昇亭北寿 国会図書館

右に見える急勾配の「男坂」は、三代将軍徳川家光の命により、曲垣平九郎がこの石段を馬で上り下りに成功した故事にちなみ「出世の石段」と呼ばれています。

関東江戸風土記 リターン