8.6 宿場

千住宿

 日光街道(奥州街道)の第一宿であり、江戸四宿の一つです。

奥州街道と日光街道が合わさり、水戸街道、日光街道、奥州街道に分かれていく街道の集散地となっているのが千住宿の特徴です。

川越と江戸を一晩で結び、旅客とともに米麦や薪炭、鮮魚を運んだ川越夜船の中継地として繁栄しました。

水路と陸路が交わる 交通と物流の要衝となり、多くの人と物が集まるようになり、商業が発展しました。

毎朝市が開かれ日本橋魚河岸と並んで賑わいました。

当時隅田川と荒川は同じ流れで上流を荒川、下流を隅田川と呼んでいました。明治43年に発生した大洪水を契機として荒川放水路を計画し昭和5年1936年に完成しました。荒川放水路(荒川)は北区赤羽近辺の岩淵で隅田川と分岐しています。大正13年に千住新橋が架橋されました。

 富嶽三十六景 従千住花街眺望之不二 前北斎為一 国会図書館

千住宿を大名行列の鉄砲隊が通過しています。遠くに花街の建物と富士山が見えます。農家の女性二人が稲刈りの終わった田圃の畦道に座りながら行列を眺めています。先頭の武士も女性の方を見て、これからの道中の励ましをもらっています。

板橋宿

板橋宿は中世以来の宿場で、中山道最初の宿場です。中山道は東海道に次いで通行量が多く川止めを嫌う荷物や旅人が利用しました。信越、北陸からの玄関口としても知られました。

    木曾街道 板橋  渓斎英泉 国会図書館

宿場の入り口に駕籠や馬を手配している小屋があります。馬子(まご)が馬の世話をしており、首を高くした馬の首筋、目鼻、蹄が良く描かれています。駕籠を担ぎ人を運ぶ事を商いとする駕籠舁(かごかき)が腰を低くして天秤棒(てんびんぼう)で荷を担いでいる商人に、駕籠を売り込んでいる所でが描かれています。

品川宿

江戸から東海道の最初の宿場で、江戸四宿で唯一江戸湊に面していました。

  品川 (御殿山から望んだ風景) 広重 国会図書館

目黒川(品川)川口で古来湊としてにぎわっていた町が宿場も兼ねるようになりました。

名所や魚介類の名物が多く、風光明媚な地として、四季折々に江戸市中から多くの人々が訪れ、140軒くらい飯盛旅籠(めしもりはたご)と呼ぶ旅籠がありました。

     品川の駅海上 広重 国会図書館

内藤新宿

甲州街道の最初の宿場。以前は高井戸でしたが、江戸から遠い為、今の場所に新宿として設置されました。1590年関東総奉行内藤清成が徳川家康から屋敷地を拝領し居住したことから内藤新宿と呼ばれるようになりました。新宿は町中で青梅街道が分岐している街道集散地で多くの宿場が建ち並びました。

      内藤新宿  歌川広重 国立国会図書

甲州街道は産業道路としての役割もあり、馬糞も目立ったようです。他の絵師も含めて、広重は新宿をこの絵以外描いていません。

関東江戸風土記 リターン

コメントを残す