8 城下町

8.1 大名 旗本 町人の居住地

 

右渦巻に沿って内濠から将軍家、御三家、譜代、外様の順に配池されています。北の丸に親族の屋敷、大手門外には幕閣の重職と側近の屋敷、常磐橋門内から日比谷門には親藩譜代、日比谷門から桜田門には有力な外様大名の藩邸がありました。旗本・御家人は階級によって区分されていました。

名主(年寄り)は第2期拡張工事で公儀への奉仕(伝馬、大工、・・)が義務付けられ、その見返り給付として敷地・屋敷が与えられました。大工・鍛冶屋・呉服・履物屋など職業別の町内に職人や町人を住まわせ町運営を主導しました。

8.2 大名屋敷

桜田

元々は日比谷入江でしたが、文禄年間(1592-96)に江戸城西丸造営で生じた大量の残土で埋め立てられ諸大名の屋敷地となりました。

      櫻田 広重  国会図書館

彦根藩井伊家上屋敷の赤の表門が見えます。門の前に石垣を組み3本の釣瓶を持つ大井戸(若葉井と名付けられていました)がありました。その左には御堀端番屋が見えています。

      外桜田弁慶堀糀町 広重 国会図書館

 彦根藩井伊家上屋敷東側の「桜田堀」を描いたもので、現在はホテル ニューオタニです。

土手の下の柳の脇に「柳の井」が描かれています。「柳の木をうゑし故に柳の水ともいへり。いづれも清冷たる甘泉なり」と紹介されています。

霞ヶ関

桜田門から虎ノ門あたりの一帯。蝦夷に備えて関所を設けたという伝説があります。江戸城に接し、城を守る要所であることから、諸大名の屋敷地がありました。

        霞ケ関雪中 広重   国会図書館

松平安芸守 広島藩(浅野家)、松平美濃守 福岡藩(黒田家)松平伯耆守 丹後宮津藩 等の上屋敷が続き、現在は警視庁、総務省、外務省、文科省となっています。

      かすみかせき  広重  国会図書館

坂下から大名行列が登ってくるところで、居合わせた町人達は道を譲る事になっていましたが、道端で平伏しなければならないのは、将軍家と徳川御三家の行列だけでした。

日比谷

もとは日比谷入江で、海苔養殖がおこなわれていました。家康江戸入府(1590)後の大名普請で埋め立てられ諸大名の屋敷地となりました。地名は海苔養殖用のひび(篠竹や木を海中にさしたもの)が多く見られたことに由来しています。

      日比谷外之図 広重 国会図書館

長州藩毛利家上屋敷が描かれています。手前に辻番所、奥には日比谷御門が見えます。通りには長鎗の稽古に通う武士の子供、御殿女中の奉公に上がる娘の姿があります。

加賀藩前田家

 加賀・能登・越中の大半を領地とし大名中最大の102万5千石を領した加賀藩前田家は外様大名でしたが徳川家との姻戚関係があり準親藩として松平姓と葵紋が下賜されました。 

        本郷  広重    国会図書館

本郷の広大な加賀藩邸は明治に東京帝国大学の校地となり、赤門が遺構として残っています。

文政10(1827)年11代将軍家斉の娘・溶姫(ようひめ)が前田家に嫁いだ際に居住する奥御殿(御主殿といいます)は江戸城大奥と共通するように造営されました。御主殿の門は丹塗りにしたところから、表門の黒門に対して赤門と呼ばれています。

佐賀藩鍋島家

鍋島直茂は関ヶ原の役で西軍でしたが同じ西軍の立花宗茂を攻略することで所領を安堵され、 35万7千石の国持大名となりました。最初は支藩、主家(龍造寺)の領地があり実質知行は3万石程度でしたが、鍋島支配を巧みに成功させました。

佐賀藩は長崎に程近いため寛永18年参勤交代での江戸滞在期間を短くする代わりに、福岡と1年交代で幕府である長崎の警備を命じられています。

     [山]下御門之内 広重  国会図書館

     山下町日比谷外さくら田 広重  国会図書館

門松の葉、2つの羽子板と羽根、奴凧(やっこだこ)を手前に配し、江戸城の堀、大きな門松を立てた赤門の大名屋敷、そして富士山が描かれています。

肥前佐賀藩(松平肥前守)の上屋敷で、赤門は将軍家から姫君を迎えた証しです。当時の藩主 鍋島直正は11代将軍 徳川家斉の第十八女 盛姫を正室に迎えています。

佐賀藩は藩校 弘道館を有し、幕末から明治維新にかけて江藤新平や大隈重信など多くの優秀な人材を輩出しました。西洋の技術をいち早く取り入れ、アームストロング砲や蒸気船など藩内生産に成功し。江戸湾防衛のための品川台場建設で、これらの技術を提供しました。

久留米藩有馬家

丹波国福知山藩8万石の大名であった有馬豊氏は、大坂の陣で功績があり一挙に13万石の加増を受け、関ヶ原の戦いで西軍に組みした小早川秀包が改易となった久留米21万石の領主として入封しました。

     芝赤羽橋之図 広重 国会図書館

侍長屋の屋根上に水天宮の幟旗がなびき、左上の櫓は「赤はね火之見で有馬藩は増上寺の火番を命じられています。

       増上寺塔赤羽根 広重  国会図書館

増上寺の裏は土地が広く赤羽橋の櫓とされる水天宮があり旅人も立ち寄り、毎月5日 魚屋、植木屋、行商人等の市が立ちました。

       赤羽根 広重   国会図書館

市が立った日の賑わいの様子を描いています。中央左は増上寺の塔 右手は有馬家上屋敷が見えます。

鍋島藩内藤家

内藤家は家康の祖父であった松平清康に仕え、三河一向一揆の鎮圧や 「長篠の戦い」などで戦功を立て、小田原攻めでは先鋒を務めました。1622年陸奥国磐城平藩藩主となり現在の町の骨格をつくり、新田開発等の施策を行い125年間磐城平の地を治めました。

文化の面でも俳諧の西山宗因や北村季吟、松尾芭蕉などとの親交を深め、元禄文化の発展に大きく寄与しています。

しかし凶作にもかかわらず増税や新税導入を行い、首謀者7名が処刑された大規模な百姓一揆「磐城騒動」が原因で、延享四年(1747)鍋島藩 延岡に移封されました。

      虎之門外之図  広重   国会図書館

延岡藩内藤家の虎ノ門上屋敷が描かれています。門の両脇の建物が侍長屋です。 両脇に長屋を付けた門を長屋門と言い苗字帯刀が許された名主の屋敷も、長屋門を構えていました。

関東江戸風土記 リターン

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