7.5 現在の二ヶ領用水

稲田領側の二ヶ領用水は現在も同じ水路を流れています。二ヶ領用水が地域の川の水を集め最終的に多摩川に流すメイン河川の役割を担っている事や、稲作・畑作が戦後も長く続き用水が利用されてきたからと考えられます。 

20年程前までは2本の二ヶ領用水に挟まれた長尾地域一帯は稲作や梨の栽培がおこなわれ、長尾小学校では水田をお借りして稲作の実習が行われていました。 主婦や娘さんが手で田植えをされていた情景は今も瞼に残っています。

        宿河原堰 取水口近く 

南武線 宿河原・登戸間のの多摩川側を流れる二ヶ領用水は、開削当時の風景がそのまま残っている場所です。写真左手は今も畑作が行われており、用水路の石段を利用し水を取水しておられるのだそうです。

           宿河原から久地方面

桜は昭和33年が植えられ用水面近くには遊歩道が設けられ桜名所となっています。

久地円筒分水

昭和16年(1941)に平賀栄治が「久地円筒分水」を設計し建造しました。

二ヶ領用水はここで多摩川方面への水路と分流し、用水は平瀬川の下をトンネル水路で導かれ、サイフォンの原理で吹き上がらせた水を、耕作面積の比率を円筒の円周比率に一致させて四つの堀に分水し、各堀へ正確に用水を供給しました。

     左から 根方堀、久地堀 、六ヶ村堀への分水

           川崎堀への分水

緑化センター懸樋

宿河原取水口からの二ヶ領用水の上をまたいで給水する五ヶ村堀の石作りの懸樋(かけひ)です。

水路は緑化センター内は暗渠となっており、この水路の上流を辿ると水路は分流と合流が組み合わさり、宿河原-久地の間は隈なく水路が張り巡らされていました。

関東江戸風土記 リターン

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