将軍の宿舎として使用する目的で1608年秀忠が小杉陣屋の西の敷地に造営しました。当時相模国と武蔵国を結ぶ主要街道であった相州道(中原街道)沿いで多摩川の丸子の渡しがある江戸防衛の重要地点でした。近くに西明寺・泉澤(せんたく)寺があり、政治的にも立地環境が良い場所でした。

表御門は防衛上直角に曲がった中原街道に面していました。現在もこの道は短い間隔で直角に折れ曲がっており交通は停滞しています。
右手の奥に将軍が休む御主殿、北側の裏門、御蔵御賄屋敷、御殿番屋敷が配置され御主殿東側は小杉陣屋と次太夫代官屋敷がありました。
この頃小杉村は、江戸へ往来する大名・武士町人・旅芸 人などで賑い、商店や宿屋が立ち並ぶ川崎で一番活気ある街道(場所)でした。
東海道が整備されると中原街道を通る大名が減り、小杉御殿の存在意義も薄れて廃止されました。現在は、陣屋の地名と主殿跡に主殿稲荷と石碑が残っています。
中原街道(相州道)
因みに府中御殿は奈良飛鳥時から武蔵国を治める国司館(こくしのたち)の場所に関東移封時造営された最初の御殿です。御殿築営は要衝の地が選ばれた事が伺えます。
家康が命じて1596年に現在の平塚市中原に建てた「中原御殿」が中原街道の名前の由来です。武蔵国と相模国を結ぶ街道で相州道(あいしゅうどう)と呼ばれていました。北条時代に相模国と江戸を結ぶ道として整備され、比較的直線区間が多い街道で、東海道が整備されていない 江戸初期は主要道でした。
中原御殿跡と中原街道の絵図は残されています。 平塚市博物館 中原御殿 中原御林
西明寺
小杉御殿に隣接する徳川幕府にとって西明寺は重要地点にありました。弘法大師が東国を巡り、奈良時代に川崎(宮前 有馬)に建立された後この地に移転しました。 北条の保護を受け家康も朱印地を寄進しています。
立派な構の本堂
大きい丸い4段石座に立たれる弘法大師尊師を仰ぎ見ます。
威風堂々風格ある鐘楼です。
泉澤寺
世田谷領主吉良頼高(よりたか)が1491年に多摩郡烏山(世田谷区烏山)で菩提寺として建立しましたが焼失し、1550年に吉良頼康(よりやす)が現在の地(小田中)に再興しました。
上小田中では免税により商人の居住を促し、門前町を整備して町の繁栄に貢献したと言われています。
二ヶ領用水(川崎堀)
昭和7年頃 二ヶ領用水 参照 新小杉開発 株式会社 HP
泉澤寺境内の近く小田中(神地)と小杉の境に二ヶ領用水(川崎堀)が流れています。昭和始め頃の用水は清らかで水量は豊、川幅も広く、昭和初期までは飲料水にも利用されていたそうです。
神地橋
中原街道と二ヶ領用水(川崎堀)が交差する地点に架かる神地橋(ごうじばし)からの現在の二ヶ領用水です。
神地橋は昭和10年中原街道の改修工事の時コンクリートの橋になりましたが、それまでは木の橋でした。子ども達は木の橋の欄干を飛び込み台にして二ヶ領用水で泳いだり遊んだりしていたそうです。








