6. 江戸城の風水

寛永寺

徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門にあたる上野の台地に慈眼大師天海によって寛永寺が建立されました。現在上野駅の西側は上野公園、上野動物園、国立博物館、西洋美術館等ありますが、江戸時代は全て寛永寺敷地でした。

寺の名前は法隆寺のように仏教の教えから由来するのが普通ですが、比叡山 延暦寺は延暦年間(782-806)に建設された年号から「延暦寺」と命名されました。寛永寺も延暦寺に習い建設された寛永2年(1625年)の年号から「寛永寺」と命名されました。

延暦寺の山号は「比叡山」で、寛永寺は東の比叡山であるとして「東叡山」と称しました。当時天台宗の関東総本山は川越の喜多院で山号は「東叡山」でしたが寛永寺の完成により喜多院はこの山号を剥奪されてしまいました。

上野地区は京都・近江の名所を倣って造営されています。

根本中堂

     東叡山 寛永寺 根本中堂 寛永寺HP参照

御本尊は薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)で、比叡山延暦寺の根本中堂と同じく、伝教大師最澄自ら彫られたと伝えられている秘仏です。

比叡山延暦寺 根本中堂を、延暦寺山門で高い石段の上にある文殊楼から回廊とその奥に根本中堂を望んでいます。 文殊楼は座禅による修行道場です。

清水観音堂

  上野清水之桜  渓斎 英泉  国会図書館 

清水観音堂で舞台造りのお堂は京都 清水寺の本堂(清水の舞台)を倣って造営されました。16建立した天海は桜を好み桜を吉野から取り寄せたとされています。左下に見える建物は文殊楼ですが、幕末の上野戦争で灰燼と帰し現在も再建されていません。

不忍池 

不忍池を東の琵琶湖として位置づけ、琵琶湖の北部にある竹生島を宝厳寺を、弁天島の弁天堂に見立てました。 宝厳寺は聖武天皇が夢枕に立った天照皇大神のお告げから建立され水と芸能を司る天女「弁才天」の聖地とされ秀吉も保護しました。

     忍岡の暮雪 渓斎英泉   国会図書館

当初は弁天島でしたが1672年石橋が架けられ春の桜、夏の蓮見、秋の月見、冬の雪見など 四季折々を楽しめる場所となりました。

     琵琶湖 竹生島  宝厳寺HP参照

    宝厳寺 宝厳寺HP参照

増上寺 (三縁山)

元々は麹町の貝塚村にありましたが、1598年江戸城の裏鬼門にあたる芝に移動しました。家康が当時の住職 源誉存応上人に深く帰依し、寛永寺と同じく徳川の菩提寺となり六人の将軍、二代秀忠・六代家宣 七代家継・九代家重・十二代家慶・十四代家茂の墓所があります。

        芝増上寺 広重 国会図書館

檀林(学問所及び養成所)がおかれ、関東十八檀林(関東の浄土宗の18の寺院)の筆頭となりました。敷地には120以上の堂宇、100棟を越える学寮があり、3000人以上の学僧の念仏が全山に鳴り響いていたと言われています。

三門(三解脱門)

       芝増上寺 昇亭 北寿  ボストン美術館

煩悩から解脱した覚りを開くための三種の修行「空門」「無相門」「無願門」の三門を三解脱門と称し、慶長16年(1622)徳川幕府の助成と幕府大工頭・中井正清により建立されました。2階には十六羅漢像が随従する釈迦三尊像がおわしますが非公開です。

ちなみに京都南禅寺の山門は藤堂高虎(江戸初期武将)が大阪夏の陣に倒れた家来の菩提を弔うために再建し2階に安置されている十六羅漢が随従している釈迦三尊像を南禅寺のHPで見る事が出来ます。    南禅寺(https://nanzenji.or.jp/equipment/sanmon

日枝神社(山王権現)      

文明10年(1478年) 太田道灌が江戸城築城の時 川越の喜多院の鎮守川越日枝神社を勧請しました。 家康の関東移封時江戸城内の日枝神社を紅葉山に遷座しました。江戸城の鎮守として1604年江戸城改築時江戸城外の麹町隼町に遷座しています。

  

       大津市坂本 日吉大社 山王鳥居

明神鳥居の上部に三角形の破風(屋根)が乗った独特の形をしているのが特徴で、東京の日枝神社にも石作りで同じ形状をの鳥居が石段の下にあります。

大津市坂本の日吉大社は日枝神社の総宮で、比叡山(日枝山)の山岳信仰・神道が融合した神仏習合の神様を祀る天台宗の守護神社です。

     銀世界東十二景 赤坂山王 広重 国会図書館

      山王権現雪中 二代目広重 国会図書館

左下の門が登拝口で櫻田門近くにあり、山王権現の裏地は溜池で武家屋敷を見晴せる場所に建てられ、江戸幕府を守護しているかのようです。2人の広重の雪中静かな山王権現にもお供を連れた武家が描かれ、幕府に仕える武家にとっては聖域であったことが分かります。

神田明神

平将門が939年常陸国府を襲撃し新皇と称しましたが、朝廷の追討軍に討たれてしまいました。墳墓とされる塚が築かれたのですが月日が流れて荒廃し、人々を呪って現れる将門の亡霊をこの神田明神に祀って鎮められ、戦国時代の太田道灌、北条氏照等武将より崇敬されてきました。1600年 関ヶ原の戦の際家康は戦勝祈祷を命じています。

         神田明神 広重  国会図書館

日比谷入り江埋め立ての為切り崩された神田山に神田明神が遷座され境内から江戸を一望する事ができる名所となりました。

     東都名所 神田明神 広重 国会図書館

江戸城を守護する神田明神と山王権現の神田祭と山王祭りは天下祭と呼ばれ祭の際には両祭の山車が江戸城に入って将軍に拝謁する事が許されていました。

関東江戸風土記 リターン

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