語り 細埜さん 「石橋屋酒店」店主
聞き書き 勝野井 央子 稲田郷土史会&かわさき聞き書き隊
2021年10月12日
江戸時代から、津久井道で代々商売を続け、現在18代目の細埜さんは71才。登戸の歴史、現在、今後について、独特の登戸考を名調子で語った。
石橋屋の歴史 1
約400年前、津久井道で風呂屋を開業したんで、前の屋敷が空き地になってた。「そこに神社を建てた」というのが言い伝えにあるんだよ。
稲田郷土史会の角田益信さんの書かれた「登戸稲荷社誌」に詳しく出てるけど「約四百年前、大水で流された稲荷社を多摩川よりだいぶ離れた安全な字中村に移すことになった。ちょうど石橋屋の旧屋敷が空いていたので、そこを譲り受けて村中で建てたのが現在の登戸稲荷社である」
「石橋屋」という屋号は、この地に張り巡らされてた用水路に小泉利左衛門さんが、何か所か石の橋を架けた。小泉橋のように立派でない、ただ石を置いただけのもんだよ。先祖はそのたもとで、商売を始めたので石橋屋と屋号を付けた。
悪いことをする人が1人も出ないで、堅実な商売を続けて、私で18代目。
息子、孫と、19代、20代も大丈夫だよ。
登戸は、津久井道の宿場町
江戸時代、江戸に出る道は甲州街道や大山街道があったけれど、大名行列が通る道だから通行料を取られた。津久井道は裏街道で通行料なしで江戸まで行けたので、登戸はその津久井道の宿場町として栄えていた。
この辺は職人さんが多かった。左官屋、風呂桶屋、下駄屋、竹細工屋、履物屋なんかが何軒もあった。道中、物を入れる籠が必要になるし、履物も擦り減れば、新しいのを買わなくちゃあならない。
石橋屋の歴史 2
江戸への行き帰りに、多摩川の渡しのところで、「登戸で一風呂浴びて行こうか」ということで発展していったんだと思いますよ。
しかし風呂屋があまり儲からなかったのか、その後に蕎麦屋をやったんだね。
風呂を浴びた後に、そばを一杯となるのを見て、蕎麦屋になったのか?
多分、商売ってそんなもんだと思うんですね。人が歩けばお腹も減るし、それを商売としてやると、どんどんと発展していったんですね。
私のお祖父さんの時代は箒、炭やタドンなどの燃料、味噌、醤油、油、酒などを売る雑貨屋だった。みんな量り売りで、地球に優しかったね。
昭和30年代、父の代に酒専門店になった。
今度の区画整理で、うちは木造2階建て店舗付き1軒家を建てた。
今後、もし壊さなきゃならなくなった時、自分の金で壊せるようにね。
「生活はそこそこで、健康なのが1番」というのが私の信条なんで。
昭和の登戸の栄枯盛衰
実感として、私の子供のころ、昭和40年代迄が1番栄えてたかな。
昭和の終わりにはちょっと衰退してきたような。
「銀映」ていう映画館もあった。
何で栄えてたかというと、昭和57年に麻生区が多摩区から分離する前は、柿生のところまで多摩区だった。柿生や百合が丘の人たちも役所や保健所のある登戸にみんな来てた。
その帰りに映画を観たり、買い物をして帰ったんじゃないかな。
分区したら、麻生区の人は登戸に来る用がなくなり、新百合ができ、発展し、どんどん良くなったので、ますます登戸に来ることはなくなったんだね。
反対に、映画館も無くなり、お店も減って、登戸の人が新百合に映画や買い物に行くようになった。
昭和40年代、登戸にはいろんな店がありましたよ。食堂だって今より多かったし、洋服の仕立て屋さん、八百屋さん、魚屋さんだって何軒もあったし・・・
今と逆というか、町医者とか、そういうものは少なかった。
区画整理中の今
昔から住んでる者から見ると、何か変な街になっちゃったという感じだな。
今は、病院、美容院、整体マッサージ、調剤薬局、保育園が多くなり、
賑わいがなくなって、明るいって感じが無く、暗くなったというか…
不安いっぱい、ストレスいっぱい
「今後どうなるのか?」ということは、どなたに聞いても多分、分からない。
住んでた家を片付けてー仮設に入りー又そこを片付けてー新しい所に入る。
普通に考える人は、それだけでも、おかしくなる。
商人は商売できるとか、安定してるものが1つでもあれば生きていける。
今、安定しているものが、1つもない。ストレスばかりだ。
まあ、病気にならないようにしなくちゃね
*
大手の建築会社にビルの建築を頼むと、1括借り上げという制度があって、例えば「30年1括借り上げ」なんてのにすれば、その間、空き部屋が出ても、保証してくれるので、確定した返済ができる。但し、店舗テナントには保証がない。 建築会社は絶対損しないようになってるんだよ。
個人でローン組んでビル建てても、後、いろんな壁が待ち受けている。その後、税金が来る。
「土地を2割取られても、土地の価値は2割以上、上がる」と言われるけど、税金も上がる。
困った問題
古い街だから、どっからどこまでが借地なんだ?とか住んでた人が行方不明とか、権利関係が複雑で全然分からない。謎の町、登戸がもっと謎の町になる。
番地も問題だよ。住居表示も難しい。
地元の熱心な人が大勢集まって、本気で考えて、5~6年でできるかな?
ただ、本気で考える人がもういないよ。そ~いうバカが。
すごい立派な人が命を懸けてっていう人が・・・命かけてもあまり楽しいイメージがないんだよな。
商人って、年1回でも買い物してくれると繋がってるって意識があるけど、もう切れてるだけだから・・・
もう、そういうこと考えない、暗くなるだけだから。
今まで地面で生活してた人が、高い建物に住むとなると、同じ所に住んでるという意識もどんどん薄れていく。それが区画整理だね。
これからの登戸
今のところ、他所から一流の店が1軒も来てないよ。呼んでも来ない。
様子を見ているんじゃなくて、詳しい市場調査して来ないんだと思うよ。
「今はまだ駄目」地元にいてもそう思うんだから。
今、ちょっとしゃれた店で外食しようとしても、車でどっか行かなきゃならないでしょ。
他所の新しい街に行くといくらでもあるじゃ、名の知れたお店が。
登戸には1軒もないんだよ。
*
東京が発展したのは、何代も住んでる人がいないからだよ。だから発展した。
うちみたいに18代も登戸に住んでる、そーいう人が居る限り発展しない。極論から言えば。
新しいマンションも元々そこに住んでた人が入ってくるだけだからね。
高い金で新しく土地を買って住む人は、なんとかして収益をあげようと切磋琢磨して頑張るから街は発展する。
そこにドーンとぬるま湯に浸ってる人ばかりだから、全然発展しないんだよ。
皆さん、基本的に真違っているよ。区画整理事業は、街造りをしてくれる訳じゃあないんだから。
そのための有力な人たちが、みんな短命で亡くなっている。
高級外車だ、株だって、バブルの頃に浮かれた人は、みんな失敗してすっ飛んじゃった。手堅く生きてきた人だけが残ってる。
手堅い人が手堅く計画してもさ、私みたいにしかならない。自分を守ることだけだもん。
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登戸は平地で、気取りのない、100%住み良い街だよ。
まあ100年後、登戸は素晴らしい街になるよ。
今を考えると、ものスゲー 不安になるけど、はるか先を考えるとすごく楽しくなるよ。