石井果樹園

江戸時代から代々、農業をやってきました。今後、次世代が問題です。」

  語り    石井真博さん 「石井果樹園」

  聞き書き  勝野井 央子

  2024年10月29日

 2024年8月、登戸稲荷の近く、JR南武線沿いの石井果樹園で、信じられない大粒の立派な葡萄を買った。巨峰との事。その大きさと美味しさにびっくりし 感激した。

区画整理で、ビル建設が進む登戸で、この果樹園、ずっと続いてほしい! と思った。

石井真博さんは、五十二才。落ち着いた口調で、農業の面白さと苦労を語った。

江戸時代から農業を営んでいたと聞いています。

 稲や野菜だと思います。

この辺りは、江戸の食糧供給地で、できた作物を荷車に積んで、多摩川の渡しを渡って、都内で売っていたみたいです。

その売上金をためては、畑を購入してだんだんと農地が大きくなったみたいです。

今は減ちゃって二か所しかないんですけど、昔はいろんな所に畑があったみたいです。

大正時代からこの辺一帯は、梨の栽培を始めました。

 多摩川に近く、水はけがよく、梨の栽培に適していました。

 多摩川梨というブランドで栽培したみたいです。

当時は、登戸駅から長念寺が見えたそうです。

それほど、畑ばかりだったようです。

登戸村という何にもなかったところでした。

昭和になって、観光が盛んになって、秋の梨狩りの時期には観光バスで、大勢の人が来たみたいです。

お祖父さんには、たくさんの兄弟がいたんで、家族総出で作業をしてたみたいですね。

祖父の後、父親が継ぎ、僕も加わりました。

 十二年くらい前に祖父が亡くなりました。その二年くらい前に父がサラリーマンの定年を迎え、高齢になった祖父を手伝って、梨や野菜の栽培を手伝うようになりました。

 祖父は人にものを教えたりする人でなく、父は、梨の育て方も何も教わっていなかった。祖父が亡くなってから、苦労したそうです。

 自分なりに勉強して今のような立派な梨を作れるようになった。

 

 僕は2010年迄、新町のサークルK(現在はファミリーマート)を十年くらいやっていました。

 そこは十年ごとの契約更新だったんです。

その更新前に、祖父が体調を崩したので、更新せずに、畑を手伝うことにしました。

親父も僕も、全然農業に携わってなかったので、手探りで大変でした。

現在は、親父が梨をメインにやっていて、

僕が野菜と葡萄を作るようにしています。

本当はね、僕も、梨をやりたいんですけれど、野菜や葡萄ができなくなっちゃうんですね。

 梨は、一年中やることが一杯あるんで、梨までやると、なにかみんな中途半端になっちゃいそうな気がして・・・

 親父が元気なうちは梨を頑張ってもらいたいんです。

 

 収穫した梨、葡萄、野菜は、畑の売店で販売したり、黒川の農協セレサモスに持って行って販売しています。

昔、登戸って、梨園とか田んぼとか、たくさんあったんですけど、段々減ってきちゃって、「寂しいな」という気がしますね。

今、農業やっているうちは、何軒だろう?

数えると、うちと、三平さんと・・・中野島にポツポツありますけど・・・

「登戸」って言うと多摩川梨というくらい、有名だったんですけど、寂しいですね。

葡萄は十二年前から、「大きいインパクトのあるものを作ろう」と苦心しました。

 父も祖父と同じで、指導をせず「見て覚えろ!」というタイプなんで、最初の何年かは、おいしいと思える葡萄は出来なかったですね。

 最初から巨峰を始めた。

 自分なりの考えで、普通の大きさでなく、大きいインパクトのある葡萄を作ろうと試行錯誤しました。

今年の巨峰は、大きくて立派でしたけど、最初の頃は小さかったです。

葡萄って自然のままだと、房が長くなって(五〇センチ位)、小さい実が五~六倍つくんで、難しいんです。

大きい粒にするには、まびいちゃうんです。

すると、栄養が行きわたり、大粒の、水分の多い、おいしい葡萄になるんです。

ただ、大きくすると粒が割れちゃうんで、割れない程度の大きさにするのが難しい。

 

ただ、年々、気候が変わってきているから、その年の気候と天候に合わせて作らないと…

毎年、勉強ですね。

今年なんかすごく暑かったですもんね。

実が割れるんです。

朝夕と日中との寒暖差がないと、甘くならないんですよ。

今年は四〇℃とかで、地面が熱をもちゃって、

夕方になると、井戸から水を汲んで、葡萄にかけるんですけど、虫もいるし、大変です。

1

1℃でも2℃でも、とにかく、少しでも、温度が下がるように、水をまきます。

今年は三回、熱中症になりかけました。フラフラして、立ち眩みになって・・・

畑仕事は、一人でされるのですか?

 妻は、サラリーマンでケア・マネージャーをやってるんで、土日に早朝、少し草むしりを手伝ってもらってます。助かりました。

この広さでの作業は、親父と僕とでは無理です。大変です。

今後?

 江戸時代からずーっと土地を守って農業をやって来て、自分の代で終わりにしたくないが、子供がいない。妹には二人いるんですけど、女の子なんで、「どうなっちゃうのかな?」って感じです。

 

 今は、子供も少ないし、女の人も外で働くようになって、社会が変わってきました。

 農業を続けていくのが難しい時代です。

 

区画整理でやりにくくなったこと

 畑の周りは全部、住宅でしょ。

 梨は甘いので、虫が来ます。やはり、消毒をしないといけません。

 消毒は、霧状のものなので、周りが住宅だとやりにくいですね。

 家や洗濯ものにかかるといけないし、年々やりずらくなってきていますね。

 昔は何もなかったので、パーとやってましたけどね・・・

小規模農業の問題

 農業をやりたい人がいても、うちのような規模ではやっていけない。

もっと大きくないと収入につながらない。

 梨を売っても、ほぼ利益はないようなものです。

 肥料なんかも値上りしてるし、

身内でやっているから給料などもあってないようなもので、

人を雇うというわけにはいかないですね。

だから、繁忙期には、親父や私の友達とか、近所の土いじりの好きな人が、ちょっと手伝いに来てくれたりしていますね。

ただ、皆さんサラリーマンで、土日のあいた時間に、ちょこっと来る感じなんでね。

再びの今後

 妹夫婦も勤めているし、子供二人も女の子なんで・・・

 食べていけるくらいの商売になればいいんですけど。

 こういう気候だし・・・

 暑さで、梨も焼けちゃうし、葡萄なんかも色がつかないと出荷できない。

 巨峰は、今年は大きくできたんですが、色がきれいにならないんですね。

 安定した収入が見込めないから、「やろう」という人がいそうにないのは当然でしょうね。

 農業だけでなく、地球全体が、気候変動でおかしくなってきている。

 梨の花が、九月に、狂い咲きして、小さい実を付けた。木も疲れますよ。

 今、東北で南国の果物のマンゴ―を作っているそうですから。

海の魚もおかしくなっている。

 人間のやったことによるしっぺ返しですかね。

  

思い返すと

 新しい道路ができる以前の、ミカン畑と畑がくっついてた昔がよかった。

のんびりしていた昔の登戸。

子供の頃、東通り商店街も栄えてた。

店の人と世間話をしたり、会話ができてたじゃないですか。

模型屋もなくなった。僕もよく通って、いろいろ工夫して作ったもんです。

今は、テレビゲームか。

便利になる反面、人間がダメになる。

寂しいな。

子供の頃は、自然が一杯で、木登りとか、外で遊ぶことが多かったな。

楽しい思い出としては、多摩川を渇水期に歩いて横断したことかな。

南武線沿線は、ほぼ田んぼや梨畑だったので、

六月ごろはカエルの声、夏はセミの声がうるさかったです。

今は建物が建って、地面がコンクリートになった為にセミが出てこれないんですよ。

    ***

区画整理で全く登戸の面影がなくなりましたね。

後書き(聞き終わって、筆者の感想)

 区画整理で、幾本もの新しい道路ができた。

 新しいマンションもたくさん建った。

しかし、近くで、新鮮な農作物を提供する、農業もちゃんと続いてほしい。

日本は、多くを海外からの輸入に頼っている。

先端技術も持論大切だけど、農業は、一番大切だと思う。

対立が続く国際情勢の下、災害頻発の咋今、

いつ危機がせまるかもしれない!

   

 新百合ヶ丘のオハイソな都会風、溝の口の大衆的なにぎやかさ それもいい!

 登戸は、農地と共にある、のどかな、気取りのない住宅地であってほしい!

リターン