半ザム

「区画整理で、いい波を、しっかりつかんでいきたいと思っています」

   語り   佐保田 篤さん 寝具店「半ざむ」社長 

   聞き書き かわさき聞き書き隊 勝野井 央子

   2022年1月14日

去年(2021年)3月に父親から社長を引き継いだばかりの佐保田篤さんは、気取りのない自然体で、店の歴史と現状、今後に向けた抱負を語った。

半ざむの歴史

佐保田家は明治九年に菅(稲田堤)に大和屋という総合卸(今のスーパー店)を その後、佐保田商店(綿の打ち直し、脱脂綿、棺桶なんかも扱っていた)を、その後、祖父が、多摩警察署の角のところで製綿所を作り、現在の場所で半ざむ(布団や呉服の店)を始めました。祖父は機転の利く人、祖母も頑張り屋で、店が伸びたのは祖父の時代です。その後、父、そして去年私が引き継ぎました。五代連続、次男が相続しています。                  因みに、父は72才、私は40才。代々、譲るのが早いみたいです。祖父が72才で亡くなり、父は直後の引き継ぎが大変だったそうで、72才で病気が多発し、引き継ぎの大変さを考えて、早々に、私に譲ったそうです。                                     呉服は、父が「着物は、もう自分たちも着ないのに、そのまま続けるのは、どうかな」って、40年前にやめたそうです。祖母が一生懸命やっていましたが、高齢になってきたこともありましたしね。 寝具とともにカーテンや絨毯の受注も受けてたんですね。結構、需要があって、やっぱり「これ、商売になるぞ」というんで二〇年前、カーテンと絨毯の専門店を立ち上げました。これも、父はアンテナ張ってましたね。やはり、時代に合わせたというか、その都度、商売自体も変わった来たということで、その辺は、柔軟にしていかなくちゃならないでしょうね。

寝具店にぴったりのネーミング「半ざむ」の由来

祖母が嫁いできた時「あんた 範じゃむさんとこのお嫁さんかね?」と聞かれ、「私は佐保田に嫁いで来たんです」と答えたら、「じゃあ、範じゃむさんじゃ」と言われたそうです。家系図を見ると世襲で範左衛門という人が何人もいるんですね。「範じゃむさん」とか「範じゃむさんとこ」は言わばあだ名ですよね。それだけ親しまれているんだったらという事で店名を「範ざむ」に・・・範は、半分の半が簡単でいいということで、「半ざむ」になったということです。1967年に合資会社「半ざむ」をスタートさせましたが、半ざむという名はその前から使っていたみたいです。

「西川」さんのお蔭というのも大きいと思います。「西川」と取引して大きくなったと聞いています。1950年代からスタートしているので、七〇年近いですね。9年前の今日ですが、私たちの結婚式には、西川の社長さんにも来てもらったんですけど、本当によくしていただきました。

西川株式会社(創業1556年)

「西川」は、発祥が、滋賀で、徳川家康が江戸幕府を開くとき、「お前、ここで商売しろ」と言われ、日本橋のたもとに土地をもらい、スタートしたんですよ。近江商人として有力者だったみたいで。460年の歴史だからすごいですよ。桶狭間の時代からあったみたいです。江戸時代、有名だったのは、蚊帳。萌黄色がさわやかで大ヒットしたようです。弓問屋などいろいろやったようですけど、寝具は1990年代からみたいです。京都、大阪、東京などと枝分かれしたのは、第二次世界大戦中、本店がやられたら、やっていけなくなるというので、枝分かれしたんですよ。

半ざむと言えば、「ムアツふとん」て、自然と出てきますね。そうですね。先代の西川甚五郎さんが、先見性のある方で、1948年に、寝具会社として日本で初めて「日本睡眠科学研究所」を開設しました。睡眠を科学するという事から始まって,ここ数年ですが、スリープ・テクノロジー・・・睡眠中のデータを取り、睡眠自体に健康へのエビデンス(根拠)を持たせようという活動で、それを消費者にちゃんと説明しながら販売していこうとしています。

今の西川の社長が言う事には、年々医療費が膨張している。健康寿命を延ばそう―それ                  には、良い睡眠が病気の予防になる―という事なんです。ムアツふとんは一九七一年 に、褥瘡を防ぐ目的で、北里大学病院と共同開発したもので、去年でちょうど五十周年だったんですよ。まだ綿布団が主流だった時代に、うちも同時に、発売しました。最初、全然売れなくて、でもずーっとチラシに載せ続け、次第に売れるようになってきました。僕も生まれてからずっとムアツで寝ています。「ムアツとともに」て感じですね。今はやっぱりマットレスの売り上げがもっとも大きく、力をいれてます。従業員の教育から品揃え迄。

僕も睡眠の勉強をしに行ってます。大学の教授が睡眠の研究チームを作り、NPO法人を立ち上げ、睡眠インストラクターという資格制度を作ったんですよね。そこに勉強に行ってます。今後は単純に販売するだけでなく、良い睡眠を提供していきたいと思っています。筋肉が硬直したままではよい睡眠はとれないので、「ストレッチスタジオも会社として取り組んで行けたらなあ」と持っています。先日、TV朝日の徳光さんのバス旅の取材のお陰か、千葉から枕を試しにやって来られる方なんかも増えています。よりよく快活に生きていくための道具として、寝具を考えています。

今回の区画整理で七階建てのビルを建てました区画整理で土地はズレたり、削られたりして数%取られたけど、いびつだった土地をきれいな形にしてもらったので、結果的には、良かったですね。一~二階は店舗、三~六階は賃貸、七階は自宅で父母が住んでます。私たちは六階に住んでたんですが、子供たちが元気いっぱいで、下の住民から苦情が出て、のびのび育てたいんで、今、登戸小学校の近くに越しているんですよ。

店の現状

流動性で、新しく街が活性化してくることは良い事と思います。子供たちは保育園や小学校に行ってるんですが、結構、地元でない人が増えてるんです。今、PTAやってるんですけど、資源ごみなんか、ルールを守らずに捨てられるとか、まあ、負の部分もありますけど、全体的に見て良いことだと思います。寝具って、度々買うものでないんで、新しい人がどんどん増えることは、うちの商売にとってもいいことです。お客さまも地元の方ばかりでなく都内や鎌倉の方からも結構来られるんです。地元は世代交代が進み、次世代も是非来ていただきたいですが、丁度、区画整理で、新しいお客さまが、来てくださってる感じですかね。                          支店は、千葉の市川だけです。登戸と市川…街の様子は違いますけど、両方とも、東京から、ちょっと川を渡ると街で、家賃も安いし、住民も増えてる感じで、競馬場も近くにあり、なんとなく似てるんですね。

今後・・・まあ未知のことですよね津久井道で昔からの商売が続いていたり、登戸は、令和時代にどうなっていくのかな?                       医者と薬局と美容院ばっかりじゃなく、飲食店ももっとふえたらいい街になるんじゃないかな。ただ、家賃が高いですからね。場所代は上がるし、物価も上がるし、物販は難しい。インターネット主流だし。商売には向かい風ではあるんですよね。       寝具店はピーク時、全国に五万店くらいあったらしいですね。10年前には二万店切ってた。今は一万店あるのかな。わかんないですけど。どんどん寝具店も減ってますからね。多摩区にも寝具店いっぱいありましたけど、どんどんなくなっちゃいましたね。  時代は変わっていって、うちもどこかのタイミングで、布団屋を変えなきゃならない時が来るかもしれないですね。僕は息子二人と娘一人がいるんで、まあ自分の代で終わっちゃうなんて、ご先祖様に申し訳たたないので、だれか一人でも継いでくれたらうれしいなと思っています。まあ、子孫からも預かっているような感じで商売してるんですけど。次の代に、いい形で引き渡せたらなあと思います。               区画整理で、いい波をしっかりつかんでいきたいとは思ってますけどね。

リターン