語り 織川さん 元多摩百貨店内 「酒のおりかわ」店主
聞き書き 勝野井 央子 稲田郷土史会&かわさき聞き書き隊
2021年6月29日
登戸の区画整理事業は、昭和63(1988)年に計画決定され、平成27年頃から着手され始めた。
2019年頃は更地ばっかりだった登戸も令和3(2021)年現在、大きなビルが続々建ち、病院やスーパーが営業を始めている。
かって登戸駅前に多摩百貨店という、個人商店がいっぱい入った二階建ての建物があった。昔を語って下さる方は、「酒のおりかわ」の織川さん。
昭和十年生まれ、86才とはとても思えない整った顔立ちの織川さんは、穏やかに過去、現在、未来を語った。
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多摩百貨店は昭和33(1958)年にできた。オーナーは正田さん、お兄さんは正田鉄工所をやっていた。
16店舗あり、一店舗の広さは十坪くらい。一階が店舗で、二階が住居だった。
私は昭和34年1月15日、織川食料品店を始めた。
花屋、履物店(靴や下駄)、豆腐屋(製造&販売)、金物屋、八百屋、菓子屋、床屋、魚屋、つくだ煮屋、揚げ物屋なんかがはいってた。
高度経済成長期の始まりで、みんな若く、新婚で、やる気満々、一生懸命に働いた。
魚屋さんがちょっと年上で、音頭を取ってくれたね。 一日、十五日は特売日。
今はないけど「スーパーナガイ」(現マルエツあたり)の場所は、お風呂屋さん「登戸浴場」で、夕方にはみんなして行ってた。子供が生まれると、たらい持ち込みで、行ってた。和気あいあいの生活だった。
昭和39(1964)年、オリンピックの年に、酒屋の免許を取り、酒を売るようになった。今は自由化されてスーパーやコンビニで買えるけど、当時は乱立しないように近くの酒屋さんとの距離と免許が必要だった。
その当時、川崎の酒屋は、800軒あったが、今は180軒に減った。
川崎酒販協同組合長を七~八年やったね。
登戸へ来る前は、築地の乾物屋で小僧をしてた。昭和25年~33年まで。
そこで一緒に働いてた同い年の経理の女性と結婚して登戸に来た。家内は五年前に亡くなったよ。子供は男の子ばかり三人。今は次男が店を継いでやってる。
・・・「お義母さんは結婚してすぐ子供ができたので、たいへんだったと思いますよ」と次男のお嫁さん・・・
遠足はだいたい向ケ丘遊園。駅からの足は、最初はトロッコ、ところが人身事故が起きて、モノレールになった。夏はプール、冬はスケートリンク。
遊園は無くなって、その入り口のところに、ドラエモン博物館ができた。
吉沢石材店も線路向こうに引っ越して、旅館ふくだ屋別館もなくなった。
北向き地蔵も引っ越し先がなくて、お寺に引き取られた。神様までもどけちゃうんだからね。
今立っている高いビルはみんな地主さんのビルなの。入っているのは医者、薬局、不動産屋、保育所。
小売店、飲食店は家賃が高すぎて入れない。家賃が都会並みなの。まあ、銀座とかは知らないけどね。
うちは、今は仮設のここでやってるけど、区画整理が終わって、ここも無くなると商売の場所がない。行き場がなくてみんな困ってるんだよ。コロナで弱ってる上にね。
一方、ビルのオーナーも税金、ローンで苦しい。
まあ、いろいろ不都合なこともたくさんあるけど、区画整理で街がよくなることを願っていますよ。
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2025年10月現在、「酒のおりかわ」は、
登戸二号線(登戸駅と向ヶ丘遊園駅北口とを結ぶ道路)のほぼ中間地点のビルの
一階で営業しています。
登戸二号線はメインの商店街にしようと計画された道路で、現在、店はボツボツといったところです。
店は、従来通り、地方の銘酒、配達、ショットバー(夕方7~12時まで)と
新しく有料試飲と量り売りをしています。